私について。0歳~22歳編 補足。
Moin Moin,
以前書いたこの記事。
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自分の中では結構一大イベントだったことを書き忘れていたので追記します。
あれは14年前、自分がまだ20歳の頃。短大に通っていた私は卒業研究の真っ最中。
島根県の短大で栄養について学んでいたので、研究内容は【市民はどんな魚をどのくらいの頻度で摂取していろのか】なんて感じのものだったかと思う。もう随分前のことだから忘れちゃった…
その頃お金を貯めるため週5で17時から0時までコンビニでバイトしていた。
あれは忘れもしない、土曜日の勤務中。
休憩中に賞味期限の切れたカステラを食べても良いと言うのでもちろんいただいた。
そして休憩も終わり再び勤務に。いつも通りの日だった。
が、何かおかしい。
何か喉のあたりに違和感が。
あれ?カステラがつまったんかな??
なんかそんな感じ。
その詰まったような感覚は喉からでてきそうにもなる。
咳が出そうになるが、咳をしたらカステラを吐いてしまいそうや。と言うことで咳も我慢。
勤務を終えて帰宅し、ずっと我慢していた咳をしてみることに。
ぼぉぅwはぁaaa!!!!!
え???
私こんな怪獣みたいな咳やったっけ??
その一回きり咳をするのが怖くなり、また我慢。
その間もずーーーーっとカステラは詰まったまま。
寝ようと思い、ベッドに横になるのだが背中が痛くて横になれない。
仕方なく背中の下に布団や枕を敷いてバスのリクライニングシートのような感じで寝ることに。
次の日も症状は治まらない。風邪かな??と思い病院に行きたかったが日曜日で開いていないし… バイトも休ませてもらい一日休養。咳を我慢するのにも限界があり、怪獣の咳もしているとだんだんと慣れてくる。
月曜の朝、症状は改善されていなかったが、授業を休むわけにはいかないと言う意味の分からない思いで病院ではなく、学校に行くことに。学校までの道のりは歩いて五分くらいだがいつものように自転車で。急ではないが上り坂が続く通学路。息切れが半端無い。途中で自転車を漕げなくなり諦めて徒歩で行くことに。
授業中も怪獣のような咳はやまない。それを聞いた先生が「今から病院に行ってきなさい。」と。
クラスメートのタメちゃんが授業中にもかかわらず親切に車で連れて行ってくれた近くのクリニック。
先生に症状を説明すると
「後ろ向いて」と。
指示通り後ろを向く。
左右の肩甲骨辺りをコンコン。コンコン。
「左右で音の違いがあるのわかるかな??」って。
コンコン。コンコン。
よーーーく聞いてみると確かに!!!
左の音の響きが重いのに対して右の音の響きはなんだか軽いぞ。中に何も詰まっていないような…
そしてレントゲンを撮ることに。
見せられた写真のそこには風船のように萎んでしまった私の右肺が…
診断結果は【肺気胸】
ものすごく簡単に言うとなんらかの理由で肺が破れて空気が漏れる症状。
そこのクリニックではどうにも出来ないと言うことで紹介状を書いてもらい、診察の間もずっと付き添ってくれたタメちゃんと国立病院機構松江医療センター(当時:国立療養所松江病院)へ。ここは呼吸器疾患を専門医療にしているので私にはピッタリ。
病院に着くなりすぐ看護師さんに迎えられ車椅子に。クリニックから連絡がいっていたっぽい。私今朝まで自転車漕いでましたけど…
即入院になります。と。え??入院??
先生に診察してもらい、レントゲンを見ながら説明を受け
「今から胸腔内に溜まった空気を抜く処置をします。」
はい。いや、でも、え?どうやって??こ、こ、こ、怖い。
「麻酔をして切開します。そこに細い管を通し胸腔内の空気を抜いて肺が膨らみやすくなるようにします。」
え?今なんと??切開???切っちゃうの????
不安でたまらない私を横向けに寝かし、脇の少し下辺りに消毒液をたっぷり塗り込み麻酔の注射が放たれた。
プス~~~~~
あいたーーーーー!!!
と思うと同時になにやら
す~~~~~~~~~~~っという音が聞こえるではないか!!
空気だ!空気が抜けているんだ!!麻酔の為に打った注射により早速空気が抜け出しているんだ!!
「結構たまってましたね~。あれ以上溜まっていたら危険でしたよ。」と。
麻酔が効いたところで、メス。
そのまま管を入れられた状態で数日過ごし、自然治癒するか経過観察。私の場合は結構重症だったので手術の可能性大。
それからが地獄だった。
体内に通された管の先が体を動かすたびにどこかに当たっているのか、物凄い痛みが走る。トイレに行くとき、食事を取りに行くとき。動き始めるまで物凄く時間がかかる。勇気が必要なのだ。どう体を動かせばあの管は当たらないか試行錯誤しても無駄である。結局当たり、悶絶するのだ。先生に言ったら、神経に当たっているのだろう。とのこと。そりゃ痛いわ。あの痛みは私の人生の中でもトップ3の中に入る。
手術することになった。人生初の手術。
医療の進歩のお陰で胸腔鏡手術で済むこととなった。
穴を3箇所開けてそこから機械をつっこみ原因であろう嚢胞の切除を行うそうだ。
手術前日、母が四国から電車を乗り継いで島根まで来てくれた。
2月初旬。大雪。母の便を最期に運行休止となったそうな。
必要なものなどを私の部屋から届けてもらったのだが、私の部屋の汚さに驚愕していた…
そして手術。不安もあったが、なかなか出来ない体験に少し興奮していた。そんな私と引き換えに泣きそうな母の顔。
「頑張っておいで。」って送り出してくれた。
テレビで見る手術室がそこにあり、麻酔をされてそんな簡単に意識を失うことが可能なのか??と考えていた。
一生忘れない。あの麻酔の針の太さ。それを手首に打つのだ。
見た目からの想像よりは痛く無く、いち、に………
気が付いたのは手術が終わった直後。手術室から運び出されようとしているときだった。周りの様子を見たかったので朦朧とした意識を奮い立たせようと目をこじあけるのに必死。看護師さんが「こんな目覚め方した人初めて笑」と言っていた。
それからまた眠りに付き気が付いたのはしばらくしてから。
何とも言えない気持ち悪さ。吐き気がすごい。
夜中何度も嘔吐し(吐くものは何もない) もう身も心もボロボロ。
内臓が飛び出しそうな勢いのやつを最後に、フッと気分の悪さが無くなった。体の中の悪いものが出たのだろうと。元看護師の母は言っていた。
それからは食欲が増しに増し、母に心配されながら食べた。
当時恵方巻きの時期で、コンビニバイトだった私は友人に協力して買ってもらっていた。本来なら私が届けるべきなのに、友人は病室まで持ってきてくれた。その恵方巻きもベッドの上で恵方を向いてかじった。
人生初の入院生活は約10日に及んだ。
食事も美味しかったし、同じ病室のおばさん達は優しかったし。退院するのが少し淋しかった。
切り取った右肺上部を病理検査に出し原因を調べてもらった。
肺嚢胞(ブラ)と呼ばれる弱い部分できて、それが破けてしまったそう。焼いている餅をイメージしていただきたい。プクーと膨れるあれが肺嚢胞。
なぜ私に肺嚢胞が出来たのか、なぜ敗れたのか、原因は不明。
気胸の中には月経随伴性気胸(げっけいずいはんせいききょう)と言って生理に伴って起こる場合もあるそうだがこれではないらしい。
一般的に『痩せ型』『背が高い』『男性』に起こるこの気胸。一個も当てはまらないのになんで???と未だに謎。
なんとなくこれかな~って思うのは、不摂生… 卒業研究からの疲れ、深夜までのバイト、ろくに取っていなかったであろう食事。
最終的に付いた病名は【自然右肺気胸】
退院して帰った一人暮らしの部屋。急に静かになり淋しさで耐えられなくなった私は実家に帰ったそうな。
補足にしては長くなってしまいました。
読んでくれてありがとうございます。