ChammaTの日記

何かしら違うことが起きている毎日。

私について。0歳~22歳編 今の私はこうして始まった。

Moin Moin,

 

昨日と今日、工藤静香の『私について』を聞いたので『私について』書いていきます。今は『FUーJIーTSU』が流れてます。

 

現在ドイツの首都ベルリンに住んでいる、四国生まれ、四国育ちの34歳。独身、父の影響で野球好き。

 

海外に興味を持ち始めたのは19歳の頃。それまで全く興味無かった。高校は英語科だったのに…いやこれも、英語に興味があるからとか、海外に興味があるとかではなく、ただ絶対に合格するための作戦に過ぎなかったのだ。というのも、中学時代に高校野球にどっぷりはまり(松坂世代)甲子園に行くんだ!!そのためには野球部のマネジャーになるんだ!!と勝手に意気込んでいた私。甲子園に行けそうな高校の普通科を受けると決めていたのに、担任から「英語科にしないか?」と。「え?何で?」「受けてもしダメだったら普通科に引っかかるかもしれんぞ。」と。そんなん、英語科にしますやん?そして合格点でもなかったのに何故か合格し、そのまま英語科へ。しかし、甲子園に行くことが目標でほとんどの情熱を部活に注いでいたので、成績は…うん… 英語ちゃんとやっとけばよかったよ…って皆言うやつ。

 

結局甲子園の夢は叶うことなく、大学受験。

いつか野球部の監督と結婚して寮母になりたいな~なんて思って栄養士の資格が取れる短大へ。もちろん就職先に《野球部の監督のお嫁さん》と言う選択肢は無く、栄養士になりたいとも思わなかったので(お父さん、お母さんごめんなさい。)さあどうしようと。そこへ耳に入ってきた【ワーキングホリデー】という制度。

ja.wikipedia.org

ふむ。なになに。ワーキングホリデー??学んで、仕事して、遊んで??何か楽しそう。

このままやりたいこともなく、ただなんとなく就職するんだったら、何かでっかいことしたいな~と思い、オーストラリアへ行くことを決意。半年間バイトをし、”オーストラリアを1周する”と言う目標を胸に渡濠。

2015年9月。20歳。シドニーから入り、3ヶ月語学学校で、英語を学んだようなあまり学んでないような。日本人経営の寿司屋でバイトし、日本を離れて5ヶ月。そろそろ動き出さなくてはと思い、寿司屋で知り合った当時の彼(日本人)と旅に出ることに。アデレード経由でパースに移り1ヶ月滞在。その後ブルームと言う町へ。この町が本当に素敵だった。原付借りてビーチへ行ったり、有名な『月への階段』見たり。ホステルのプールでずーーっと泳いでたり。あの自由な時間。

www.australia.com

ブルームから先の移動はバスですることに決め10000キロのバスパスを購入。次の目的地はダーゥイン。クロコダイル見るツアーに参加したり、トレッキングツアーに参加したり。一週間くらい滞在したあと、ダーゥインから出発してウルルに行き、そこでキャンプして解散と言うツアーに参加。エアーズロックに登るのは怖かったので登らず、周囲を歩くだけに。キャンプと言ってもテントは無く、地べたにでっかい寝袋敷いて寝ると言うスタイル。目を開けると満点の星空。もう一回見たいな。

 

ウルルからは一気に移動し、ケアンズへ。ここでは部屋を借り、ナイトマーケットの土産物屋でバイトし、約3ヶ月滞在。スーパーで牛タンが一本丸々売っているのを見つけた私たちはホットプレートでよく牛タンパーティーをしたな~。切る前に凍らせて、食べる前に切る。贅沢に分厚く。毎回誰も買わないような牛の部位を買って行く私たちを不思議に思ったのか、レジのおばさんが「これは何に使うの?」って聞いてきたことがあり、焼いて食べたらすごくおいしいよ!!って説明も。結局やったのかな~。

 

帰国の日が近づいて来たのでブリスベン、ゴールドコースト経由でシドニーへ。ブリスベン滞在時間数時間。ゴールドコースト一日。ゴールドコーストでは”Q1”と言う高層ビルから景色を堪能。

 

ゴールドコーストからシドニーを通り越し、首都キャンベラへ。緑の多い町。平和。そしてシドニーへ。丁度バスパス10000キロ使い切りました。

シドニーから次は最終目的地、タスマニアへ。レンタカーをし、『魔女の宅急便』のモデルとなったと言われているパン屋へ行き、そこで買ったアイスで彼と大喧嘩。なんか私が2つ盛られていた方のおいしい方をいっぱい食べたとかで…2人とも疲れてたんだね~。タスマニアを離れる日、空港で私に向かって一目散で走ってくるジャーマンシェパード。あれは恐怖だったね~。私の前でお座り。警察に持っている袋の中身を見せろと。洋ナシいれてたんだね~。本土に持ち込んだりしたらダメってこと知らなかったね~。しっかりご褒美もらって満足そうだったね~。朝の早い便だったんですが、あの日見た朝焼けの美しさ、あの空気は一生忘れない。

シドニー着いて、飛行機乗り換えて、さようならオーストラリア。

丁度1年。たくさんの思い出をくれました。まだ若かった私。甘かった私。日本人とばかり過ごして現地の人とあまり交流してない!!これ、失敗!!このせいで今でも連絡とっている現地人0。英語力つかず。

 

そこから向かった先はマレーシア。

オーストラリアで出会ったご婦人に会いに。とても言い方でめちゃくちゃ面倒見のいい人。お家にも招待してくれ行ってみると、まあ閑静な住宅街だこと。警備員立ってて、誰でも入れない。彼女のお家もまあすごい。シンガポールに一緒に行き、そこも案内してもらいました。マレーシアに帰ってきた私たちはとにかく物価の安さに酔いしれてた。普段行けないハーゲンダッツのお店でチョコフォンデュを堪能したり、ケンタッキーフライドチキンでBOXを購入したり。バックパッカーだった私たちにとっては天国。

約一週間の滞在で帰国前日「もっとここに居たいよーーー」と言っていた私たち。そんな願いも空しく帰国日。空港でチェックインカウンターを探すがどこにも見当たらない。え??なんで??プリントアウトした航空券を見て愕然。もうとんどるやんけぇ??2人とも飛行機の時間を勘違いしてたらしく、乗り過ごしてもーーたーーー。飛行機が飛んだ時寝てましたわ。

そこからキャンセル待ちするも、金曜日。なかなかでない。数時間待ったが空きが出ないので諦めて再購入することに。

 

一体いくらかかるんだ…

恐怖を胸にカウンターへ。彼が英語で説明してくれ、新たな航空券が手渡される。

 

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ん????お金は???

何がどーなって、こーなって、そーなったかは未だに謎だが、

 

無料でした。

 

念願のマレーシア滞在延長がこんな形で実現するとは。

 

日本に帰国してすぐ実家には帰らず、東京の彼の実家に少し滞在するという。何とも親不孝者!!初めて行った東京は刺激的だった。

その彼とも帰国して2ヶ月くらいでお別れしてしまいました。きっと彼しか覚えていない記憶もあったりするんだろうな~。そんな思い出話を出来ないのがなんか淋しいです。

 

本当はもっと簡潔に書こうと思ったんですが、思いのほか長くなってしまいました。そしてオーストラリアの話もっと詳しくやりたくなって来ました。写真付きで。今度時間のある時にじっくり書きます。

 

以上0歳~22歳の私についてでした。幼少期は特に何も無いので省いております。